メイン

2008年02月 アーカイブ

2008年02月09日

トヨタとは

トヨタは日本はもとより世界でも最大級の自動車メーカーである。2007年の世界販売台数はゼネラルモーターズがトヨタ自動車グループを抑えて首位の座を維持したものの、その差はごくわずかであった[1]。Fortune Global 500の2007年売上高ランキングでは、ゼネラル・モータースの5位につづく6位[2]で、自動車メーカーではダイムラークライスラーがそれにつづき8位につけている。 また、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率 8.7%)。

通称「トヨタ」(日本のテレビ局・ラジオ局では、2005年7月より「トヨタ自動車」を改めこの呼称を使用)、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。社長は渡辺捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日、豊田市出身、慶應義塾大学経済学部卒)。

2008年02月10日

トヨタレンタカーとは

トヨタレンタカーとは、トヨタのレンタカーのことで、トヨタの車が借りられるサービスである。トヨタレンタカーは、トヨタの車しか借りられない。日産であれば、日産レンタカーなどで借りる。トヨタレンタカーはインターネットで予約することができ、電話でもできる。他のレンタカーに比べて割安感があり、メンテナンスも行き届いており、急な予約、変更にも、かなり柔軟に対応してくれる。トヨタレンタカーで特に人気の車はプリウスなどのハイブリッド車であり、休日ともなると、すぐに予約が入ってしまうため、事前の予約が必要である。トヨタレンタカーでは領収書に、観光かビジネスかを書いてしまう欄があるため、最初に観光に記しをつけてしまうと、領収書が観光扱いとなり、経費にできないので注意が必要である。トヨタ レンタカーでは、随時、アルバイトを募集しており、時給は平均1000円ぐらいのようである。トヨタレンタカーの支店同士で車を配車する仕事、返却された車を洗浄、チェックすることが仕事のようである。

トヨタ自動車とは

豊田佐吉(とよだ さきち)(1867年~1930年)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年9月に開設された自動車部が起源である。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎(1894年~1952年)であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿(喜一郎にとっては義兄〔旧戸籍法では妹の夫が本人より年上である場合、義兄と言う扱いとなる為〕)である豊田利三郎である。織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年に自動車製造を開始。1937年に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。

誤解されがちだがトヨタという社名は豊田市で創始されたからではなく、創始者である豊田の名前からである。豊田市は元々、挙母(ころも)市という市名だったがトヨタ自動車にちなんで1959年に改名された(本社所在地も「トヨタ町1番」である。企業城下町の典型)。創始者の名前が由来なので本来なら「トヨダ」になるところだが、「トヨダ」では10画で縁起が悪いということで、濁点を取って8画にした「トヨタ」が使われるようになったと言われている。

利三郎は太平洋戦争が勃発した1941年に会長に退き、第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。太平洋戦争時は陸軍用のトラックを生産したが、物資不足のため簡素なものだった。 愛知の工場は米軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任、帝国銀行(後の三井銀行、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。これを工販分離という。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン、コロナ、パブリカなどロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。その後中川不器男社長時代にはカローラを発売し、豊田英二社長の時代にはマークII、カリーナ、セリカ、ターセル、コルサ、カムリ、ソアラなどを投入し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

1982年にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郎が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタ、1984年のハイラックスサーフ、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1990年のエスティマなど次世代のトヨタを担う車種を投入し、販売高トップの座を不動のものにした。

1992年に章一郎は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。奥田は業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、連結会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年にはネッツ店とビスタ店が統合され、ネッツ店として再出発した。

2005年にはトヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が出来上がった。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。同年には渡辺捷昭社長が就任。10月、ゼネラルモータースが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表。2006年、リコールを放置していた疑いが浮上し、熊本県警がリコール隠しとして担当部長を書類送検した。捜索を行ってもリコール隠しを裏付ける証拠は何ら見つけられず、証拠が無いままの不適切な送検であったため、検察の判断によって不起訴処分となった。2007年には名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部および東京本社の営業部門が移転した。

トヨタ 純正とは

1950年代から品質管理に力を入れてきた。たとえば、ドアやトランクリッドなど開口部の切断線[3]の合い具合や遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質には定評がある。手堅い既存技術を巧みにブラッシュアップし、低コストで比較的質の高い製品を作る技術に長けており、故障率が低いと言われている[要出典]。

1970年代後半から小型乗用車の前輪駆動化が世界的に進行した際、トヨタは前輪駆動を主力車種カローラやコロナに採用する前に、新車種「ターセル・コルサ」や、改良型の中級小型自動車「カムリ・ビスタ」など主力外車種での経験を踏まえた上で、なおかつ、顧客の反応を見るために従来型である後輪駆動車と併売を経て本採用する、という慎重ぶりであった。

また、ヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の技術供与を受けるなど、高度な技術や、排出ガス対策などの緊急を要する技術に関しては同業他社に援助を請う場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては実力を発揮する傾向がある。燃焼効率の向上を企図した狭角配置の多バルブDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年に市販開始)の開発と、量産車への搭載などはその一例である。

1990年代後半、トヨタが先陣を切って普及させた技術としては、内燃機関における吸気時期電子制御システム"VVT-i( Intelligent Valuable Valve Timing Control)である(ただし最初に開発・実用化したのはフォード)。これは従来、エンジン機関の全体的回転タイミングによって吸気していたものに代え、電子制御により強制的適量吸気を実現したもので、国土交通省(旧運輸省)低排出ガス車認定基準へのほとんどの車種の適合を実現した一要素である。日産自動車のNVCSや富士重工業のAVCS、本田技研工業のi-VTEC、三菱自動車工業のMIVECなどは同種のシステムである。

1990年代の業界再編期を経た現在は、グループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。燃料電池車やガソリン-電気方式のハイブリッドカーの開発では、部品供給で関係の深かった松下グループと連携し、また、欧州では知名度が今ひとつのためもあり、モータースポーツの世界最高峰に位置するF1に参戦するなど、最先端の技術開発・実用化に取り組んでいる。G-BOOK・G-BOOK ALPHAと呼ばれる情報通信システムは、本田技研工業のインターナビに登録者数で負けているが、グループ外他社に供与し、更に利用料を無料にするなど挽回策を図っている。

北海道士別市に巨大なテストコースを持っており、降雪地帯での乗用車や海外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

2005年8月30日に国内に投入した高級車ブランドレクサスは当年目標の6割と販売は振るわなかった。これには、これまでのセルシオの事実上の4代目次期型としてブランドの旗艦たる新型LSの導入が遅れたことも要因の一つであるが、トヨタ自身はそれほど深刻に受け止めていない。また世界初のFRハイブリッド車を発売し、新型LSへもハイブリッド車を設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。

トヨタレンタリースとは

創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備していた。これは喜一郎に請われ1935年にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国GM流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での自動車販売網を整備しオートローンもはじめるなど米国GM流儀を日本において徹底させ戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。神谷がトヨタとなってからはGM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として取り込んでいく。戦後、自動車製造・販売が再び許可されると「販売のトヨタ」と言われ、以降、現在に至るまで営業能力の高さには定評がある。現在、日本国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。

1954年に発売された1000ccのSKBトラック[4]は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時日本国内の市場を席巻していた三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、大きな成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行することになる。

また、1955年に発売された初代クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中国などでも本格生産が開始されている。

1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。

1989年(平成元年)、「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーとともに、新しいトヨタのロゴマークが発表された。

トヨタ中古車とは

トヨタ中古車とは近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。

1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車、カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。

1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の量産ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。

1999年に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野に置ける拡販を試みている。2002年に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年にはフルサイズ・ピックアップ・トラック市場への本格参入が計画されている。

ネッツトヨタとは

ネッツトヨタとはトヨタは、1950年代後半から60年代にかけて、クラウン、コロナ、パブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。

さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型商品展開を完成させたのである。

これは日本的な年功序列や終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表す。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「兄弟車」[8]を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。

また、全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。

このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売のトヨタ」と評された。

トヨタホーム

トヨタホームは近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。

1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車、カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。

1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の量産ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。

1999年に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野に置ける拡販を試みている。2002年に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年にはフルサイズ・ピックアップ・トラック市場への本格参入が計画されている。

トヨタカローラの概要

基本となるセダンに加え、多くの派生車を擁し、1969年から2001年までの33年間、連続して車名別国内販売台数第1位を維持するなど、日本を代表する車種である。また、2002年には年間世界販売台数が初めて100万台を突破した。更に2005年には、累計生産台数3000万台を達成し、2008年現在では世界140ヶ国以上の国で販売されており、特にセダンは世界で最も多く販売されている乗用車でもある。

その名前は同社の大型高級セダン「クラウン」の「王冠」、中型セダン「コロナ」の「太陽の冠」に対して、「花冠」[1]を意味する。また、同社にはほかに「冠」をもじった中型前輪駆動セダン、「カムリ」がある。

日本ではセダンの「カローラアクシオ」 (COROLLA Axio) 、トールワゴンの「カローラルミオン」 (COROLLA RUMION) 、ステーションワゴンの「カローラフィールダー」 (COROLLA FIELDER) の3車種がある。

カローラの名を冠してはいないが、WiLL VS、ウィッシュ、ヴォルツ、マトリックスも型式(かたしき)「E」を持つ同属である。

2006年9月までは5ドアハッチバックの「カローラランクス」 (COROLLA RUNX)[2]も存在したが、同年10月に新型欧州戦略車「オーリス」 (AURIS) を同車の後継として導入し、ハッチバックのカローラシリーズは終了した。ランクスおよびアレックスは、日本においてはカローラの若年層向け異型車として展開されていたが、オーリスはネッツ店専売車種となっている。

以前は、小型MPVのカローラスパシオ・2ドアクーペのカローラレビン・4ドアハードトップのカローラセレス・3/5ドアハッチバックのカローラFXなども存在した。

2006年7月には、東京都港区台場のMEGAWEBでカローラ生誕40周年記念展示が行われ、初代から9代目までのカローラとAE86型カローラレビン、カローラスパシオの欧州向け姉妹車「カローラ・ヴァーソ」、ヴォルツの北米向け姉妹車「マトリックス」が展示された。マスコミ向けに行われた撮影会では車内まで撮影できたが、一般公開では囲いがしてあり外観しか見られない状態であった。なお、車両後方には販売店のステッカー[3]が貼られており、(登録車として)実際に使用されていたことが分かる。

トヨタカローラの形式

トヨタ自動車では通例として、「エンジン型式記号 + 車種記号 + 世代あるいはバリエーション別・開発順番号表記 + 開発順の車型番号・・・」の順に記される。

例:初代カローラ KE10
「Kシリーズのエンジンを搭載する(K) + カローラ(E)の + 初代(1) + 車体形状などの開発順(0などの数字)」
3代目コロナ RT40
「Rシリーズのエンジンを搭載する(R) + コロナ(T)の + 3代目(4) + 車体形状などの開発順(0などの数字)」
初代コロナマークII RT60
「Rシリーズのエンジンを搭載する(R) + コロナ(T)の + バリエーション(6) + 車体形状などの開発順(0などの数字)」
2代目コロナマークII Lシリーズ MX20
「Mシリーズのエンジンを搭載する(M) + マークII(X)の + 2代目(2) + 車体形状などの開発順(0などの数字)」
この項では、同一車種で異なるエンジンを搭載する場合の煩瑣な例を避けるため、各世代の表記についてはエンジンの型式記号を除いた「Exx系」と統一して呼称することとし、世代内の車種については、車種の特徴をあらわす意味も含め、通称としてエンジン記号も適宜付すこととする。

トヨタカローラの開発

1960年代後半、日本では本格的なモータリゼーション時代を迎え、各自動車メーカーは車種の充実を始めた。カローラはエントリーモデルであり、国民車構想の流れを汲むパブリカと、量販車種であり排気量のアップや車体の大型化により車格が上昇したコロナの中間に位置する大衆車として、1962年ごろに初めて企画された。トヨタは、パブリカが実用的に偏り過ぎたため人気を得られなかったと分析し、実用以上の「魅力」を付加することを目標とし、開発理念として「80点主義」を掲げた。エンジンは、パブリカの空冷水平対向2気筒700cc[4]に対して、先行して開発されていた水冷直列4気筒で中高回転域でのレスポンスに優れたハイカムシャフト方式で5ベアリングのクランクシャフトを用いたOHVの1000ccエンジンを搭載することとした[5]。

車両重量その他の計算から、時速100kmで巡航するために必要な最高出力を60psとし、その出力を余裕を持って発揮するという名目から、また、後述するサニーに対抗するため、発売前の最終段階にはエンジン排気量が1100cc(実際は1077cc)に決定された。エンジン形式はK型である。そのほか、クラス初のフロアシフトによる4速マニュアルトランスミッション、国産の乗用車用としては初採用となる[6]マクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架[7]などの新機構が取り入れられた。また、トヨタはカローラ生産のため、新たに高岡工場を建設し、年間2万台の生産と販売を目標とした。また、国産車で初めてとなる全グレードのリアバックアップランプの採用、および助手席側ドアロックキーシリンダーなどの採用、インテリア関係では、丸形メーター、視界では、全車2スピードワイパーを採用したのがこの初代カローラである。

トヨタカローラのキャンペーン

サニー発売に遅れること5ヶ月、1966年9月に「カローラ」という車名と、セミファストバックスタイルのボディの一部のみを見せるティザー・キャンペーンが行われた。この時から用いられた「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーは、新開発のK型水冷4気筒5ベアリング・ハイカムシャフトOHVエンジンの排気量(1100cc)を表現したものであり、もちろん、1000cc、でデビューした「サニー」に対しての、宣戦布告であった。同時に「日本のハイ・コンパクトカー」を自称して、「パブリカ」や、あるいは同クラスの他社製品より上質であることを訴えた。

初代カローラ(E10系)は翌10月、東京モーターショーで発表される。同年10月28日には「お茶の間発表会」と銘打ち、当時トヨタが提供していた日本テレビのゴールデンタイム(午後9時からの1時間)に特別番組「カローラ・ビッグバラエティショウ」を放送、梓みちよ、北島三郎、坂本九など、当時の流行歌手が出演した。

このような発売前の大々的なキャンペーンを経て、カローラは翌11月に発売された。各グレードの販売価格は、スタンダード432,000円、スペシャル472,000円、デラックス495,000円であった。「100ccの余裕」は、余裕を謳う反面、税制上は不利であったが、事前のキャンペーンが功奏し、販売台数はサニーを上回った。

トヨタカローラの車種

発売当初は2ドアセダンのみのラインナップであったが、翌1967年5月に4ドアセダンとバン(KE16V型)が追加され、同時にトヨグライドと呼ばれる、2速AT車も設定された。4ドアは2ドアセダンの25,000円高、トヨグライド仕様はマニュアル仕様の38,000円高であった。ほぼ同時期、サニーにも同様の車種追加がなされている。

1968年4月にはマイナーチェンジが行われる。ダッシュボードのソフトパッド化、メーターへの無反射ガラス採用、2スピードワイパーの標準装備化、メーカーオプションでフロントディスクブレーキが用意される(15,000円高)など、「33項目の安全対策」をアピールした。同時に2ドアクーペが登場、「スプリンター」(別項参照)のサブネームが与えられた。セダンにもスプリンター同様の73psのツインキャブエンジンを搭載し、フロントディスクブレーキとタコメーターを標準装備するSLが車種追加され、SL以外のグレードにはコラムシフト車も追加された。なお、この年から北米と欧州への輸出が開始された。

1969年9月の改良では、全車に排気量を100ccアップした3K型エンジンを搭載し、型式(かたしき)のKE以降が、セダン:10 → 11、スプリンター:15 → 17、バン:16V → 18Vへと、それぞれ変更されている。シングルキャブモデルは68psを発揮、新たに圧縮比を高めて出力を73psに増した3K-D型エンジンを積む、ハイ・デラックスが追加される。SLにはツインキャブの77psエンジン(3K-B型)が搭載された。また、乗り心地やハンドリングを向上させるため、全車、フロントサスペンションのロアアームを、A字型アーム + 横置きリーフスプリングスタビライザーから、I字型アーム + テンションロッド + スタビライザーに改め、本来のマクファーソン・ストラット式となった。このフロントサスペンションは、80系の、AE85型/AE86型のカローラレビン、スプリンタートレノまで踏襲される。

E10系のデビュー当初のCMキャラクターには、トヨタ提供の東京バイパス指令に主演した、俳優の竜雷太を起用した。また、マイナーチェンジ後には、浜口庫之助の作詞・作曲による、「いとしのカローラ」なるCMソングも製作された。

トヨタカローラの2代目

同年9月、OHVながらロッカーアームを用いクロスフローとした[9]1400ccのT型エンジン[10]搭載モデルが登場。ステアリングギアボックスは初代のウォームアンドセクター式からボール・ナット(リサーキュレーティング・ボール)式に進化した。カローラ2ドアクーペおよびトヨタオート店向けのスプリンター[11]も同時発売。なおバンに限り、後述の3代目カローラシリーズ(E30/E50系)が登場した後も「カローラ20(にーまる)バン」として1977年12月まで細々と販売されていた。

メカニズムは、初代からのキャリーオーバーだが、横置きリーフがなくなり普通のマクファーソン・ストラットコイルになった。後輪はこれまでどおり縦置き半楕円リーフを用いていた。

1970年9月 1400シリーズ追加。

1971年4月、T-B型OHV・ツインキャブエンジン、および、フロアシフトの5速マニュアルトランスミッションを搭載する、「1400SL」、「1400SR」がそれぞれ追加される。

1971年8月 最初のマイナーチェンジ。フロントグリルとリアコンビランプのデザインを変更し、リアターンシグナルレンズが赤からアンバーとなる。

1972年3月、2T-G型DOHCエンジン[12]および2T-GR型DOHCエンジン[13]を搭載する「レビン」(TE27型)が登場[14]。

1972年8月 2度目のマイナーチェンジで再度フェイスリフト。クーペに1200SRを追加。

1973年4月、2T-B型OHV・ツインキャブエンジン[15]を搭載したクーペに「レビンJ」、「1600SR」、「1600SL」(TE27型)、セダンに「1600SL」(TE21型)が追加される。既存モデルは昭和48年排出ガス規制を実施。

1973年6月 高速道路時代に対応してハイデラックスにオーバードライブ付き5速MTを追加。

1974年3月 セダン、クーペ生産終了。

1977年12月 バン生産終了。

CMキャラクターはマイク真木・前田美波里夫妻が起用されておりCMコピーは「ちょっとうれしいカローラ」であった。

前モデル同様、CMソングも製作された。曲目は「ちょっとうれしいカローラ」(作詞:阿久悠・作曲:小林亜星)である。

トヨタカローラの3代目

1974年4月、E30系にモデルチェンジ。3代目カローラは、型式番号からとって「カロ-ラ30(さんまる)」と称されて登場した。同時にスプリンターはE40系となり、型式(かたしき)としては独立したシリーズとなった。

従来通り排気量は1200/1400/1600の3シリーズ構成で、グレードはセダン1200STD/DX/HI-DX/SL、1400DX/HI-DX/SL,1600HI-DX/GSL、ハードトップ1200DX/HI-DX/SL/SR、1400DX/HI-DX/SL、1600HI-DX/SR/GSL、そしてホッテストバージョンの「レビン」であった。

ボディータイプは2ドア・4ドアセダン、4ドアワゴン、2ドア・4ドアライトバンのほか、クーペに代わってハードトップがカローラ専用に与えられ、クーペを擁するスプリンターとの棲み分けが図られた。また、1200と1400/1600シリーズで2種類のフロント及びリアのデザインが与えられている。

従来型よりひと回り以上大きくなったボディーは、走行安定性や室内居住空間の拡大といった「ゆとり」を生むとともに、来たるべき排出ガス規制にあわせ、熱害対策や処理デバイスを取り付ける空間の確保という意味合いもあった。

メカニズムは従来型のキャリーオーバーである。エンジンは1200が3Kの改良型3K-H(STD,DX,HI-DX)/ツインキャブレギュラー仕様の3K-B型(SL,SR)。1400がT型(DX,HI-DX)/T-BR型(SL)、1600が2T型(HI-DX)/2T-BR型(GSL)、そして2T-GR型(レビン)及び2T-G型(同有鉛ハイオク仕様)である。トランスミッションは4速MT、5速MT、2速ATの設定のほか、1400以上はコロナ用の3速ATも準備された。サスペンションはフロントがコイルスプリング + ストラット、リアはリーフスプリング + リジッドアクスルであるが、同じ構成の日産・サニーに比べトラクションが掛かりにくく、テールハッピーであった。

安全対策も充分に配慮され、全車インストゥルメントパネルはフルパッドで覆われており、腰部と肩部が分割ではない(一本ベルトの)自動巻取り式フロント3点式シートベルトは、トヨタ車初の採用である。DX以上は衝撃吸収ステアリングコラムが、HI-DX以上はフロントディスクブレーキが標準採用されている。

このように車格がコロナ並となった3代目は、歴代のカローラの中で最も生産台数の多いモデルとなった。

トヨタカローラの排気ガス

昭和48年、50年、51年、53年の排出ガス規制に跨り販売された3代目は、エンジンの改良が繰り返され、その都度、排出ガスの運輸省届出値も変わるため、30から50、51、55などへ、型式(かたしき)が目まぐるしく変更された。変更の履歴・概要は次の通り。

1974年4月 カローラ30登場。
1200シリーズ KE30(セダン)、KE35(ハードトップ)
1400シリーズ TE30(セダン)、TE35(ハードトップ)
1600シリーズ TE31(セダン)、TE37(ハードトップ)
バン 1200 KE36V
バン 1400 TE36V
1975年1月 ハイオク仕様車廃止。
1975年11月
1400シリーズ T-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和50年排出ガス規制適合。型式はA-TE30(セダン)、A-TE35(ハードトップ)。
1600シリーズ 2T-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和50年排出ガス規制適合。型式はA-TE31(セダン)、A-TE37(ハードトップ)。
バンシリーズ 昭和50年排出ガス規制適合。型式はH-KE36V / H-TE36V。
2T-GR型エンジン廃止に伴い、レビンシリーズ一時生産中止。同時にデザイン小変更。ボンネット熱抜きアウトレットがコスト削減のためダイカスト別体型からボンネットプレス一体型に。ドアロックが丸から四角形に(セダンのみ)。
スピードメーターが180キロ表示から160キロ表示に。排気温警告灯追加。リア2点式シートベルト追加。

リフトバック1600(TE56)1976年1月
リフトバックシリーズ(E55)発表。
1200シリーズ 3K-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和51年排出ガス規制適合。型式はB-KE50。
新1600シリーズ 12T型エンジン(TTC-L 希薄燃焼方式)で昭和51年排出ガス規制適合。型式はB-TE52。
1976年5月
1600シリーズ 2T-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和51年排出ガス規制適合。型式はB-TE51。

クーペボディーは前半がE50系リフトバック、後半はE40系スプリンターからの流用。
写真はレビン(TE51)1977年1月 マイナーチェンジ。
1400シリーズ T-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和51年排出ガス規制適合。型式名はB-TE50。
レビンシリーズ生産再開。従来の2T-G型エンジンに電子燃料噴射装置(EFI)を追加した2T-GEU型エンジンで昭和51年排出ガス規制適合。型式はB-TE51。
セダン・ハードトップの外装はフロント・リアデザイン変更。フロントエプロンはスポイラー形状になる。
リフトバックのフロント周りをスプリンタークーペのボディーと組み合わせた、クーペシリーズを追加、これに伴いレビンも2ドアハードトップから2ドアクーペに変更され、逆にスプリンターには2ドアハードトップが追加される。
内装はインパネがセダン、ハードトップ、クーペとも、マイナーチェンジ前のものとは全く別デザインとなる。
上級車種には対米輸出仕様と同じ外観の、5マイルバンパー風大型バンパーが装備された[17]。
1977年8月
1600シリーズ(MT車のみ)12T-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和53年排出ガス規制適合。型式はE-TE56。
1977年10月
1200シリーズ(MT車のみ)の排気量を1300ccに拡大し、4K-U型エンジン(TTC-C 触媒方式)で昭和53年排出ガス規制適合。型式はE-KE55。
1978年5月 マイナーチェンジ。
1400シリーズを除き、昭和53年排出ガス規制適合。1200シリーズAT車も1300ccの4K-U、1600シリーズのAT車も12T-Uに変更。2T-GEU搭載車はE-TE55に型式変更。
セダン・ハードトップは、排気量の違いにより、2種類あったフロントデザインを廃止、排気量を問わず、セダン用、ハードトップ用のみとした。クーペ、リフトバック用も意匠変更。
STD、バンを除き、大型バンパーを採用。左右リアコンビランプの間に社名入り(旧"TOYOTA"ロゴ)ガーニッシュ採用。セダンのドアサッシをブラックアウト化。
ホイールキャップを廃止、KP61型スターレットと同じデザインのスチールホイールとした。
サイドデフロスタ、チャイルドロックを標準とした他は、内装に変更無し。
シリーズのグレード構成を縮小した。

トヨタカローラの4代目

1979年3月、4代目にモデルチェンジ。主力の1400ccT-U型に代わって新開発の1500cc、3A-U型[18]が搭載される。発売当初のキャッチコピーは「いい友、誕生」。

ボディバリエーションはデビュー当初E50系と同じ2ドアセダン[19]、4ドアセダン、2ドアハードトップ、レビンを含む3ドアクーペ、3ドアリフトバック、2ドアバン[20]、4ドアバンの構成で[21]

ステアリングギアボックスの形式は、デビュー当初は1300cc車のみP60系スターレットと共通のラック&ピニオンで、他はリサーキュレーテッドボールであったが、1981年のマイナーチェンジ後には1500cc車にもラック&ピニオンが採用される。また、この代から全車にフロントディスクブレーキを採用する。

サスペンションは、前輪は従来からマクファーソンストラット + コイルスプリングだが、後輪は縦置き半楕円リーフスプリングから、固定車軸ながら、4リンク + コイルスプリングに改良された。

また、日本国内向けにE70系4ドアバンをベースにミドルルーフとしたワゴンが1982年5月に追加されている。これは日本向けとしては初のカローラワゴンとなる。エンジンは当初、1300ccの4K-U型のみの展開で、グレードは1300DXと1300GLの2種、トランスミッションは4速MTのみ。のちに1800ccディーゼルの1C型(SOHC、65馬力【グロス値】、トランスミッションは5速MTのみ)も搭載される。ただしリアサスペンションはE70系バンと共通で、リーフリジッドを採用する。国内向けE70系ワゴンは1983年5月に大規模なフェイスリフトを実施し、1987年8月頃まで生産された。

1979年8月には、1600シリーズの代替としてカリーナやセリカなどの上級小型車に搭載されている1800cc、13T-U型ガソリンエンジン(OHV、95馬力【グロス値】)搭載の1800シリーズが登場するが、車重増加(特にフロントまわりの重量増加)によるドライバビリティやハンドリングの低下[22]と、税制上の問題から販売不振となり、1981年にカタログ落ち(廃止)となる。その後、カローラシリーズの1800ccのガソリンエンジンモデルは、E110系の初代カローラスパシオの4WDモデルの登場まで不在となる。

1981年5月にはワールドベストセラーカーを記念して4ドアセダンに特別仕様車「ビクトリーシリーズ」を発売。

1981年8月に大規模なマイナーチェンジが行われた。1300/1500が従来エンジンを改良したレーザーエンジンに換装された。バンを除く全車に異形角型2灯式ヘッドライトおよび全車に13インチスチールラジアルタイヤが採用される[23]。さらにセダン系は、リアコンビネーションランプも大型化される。また1500SEには、パワーステアリングを標準装備/1500と1600にはオートエアコンもオプション化/1300は3速AT化/女性ドライバーの増加に応えて、ハードトップに女性仕様「ライム」を追加。

1982年2月には、カローラとしては初[24]のディーゼルエンジンが搭載された(SOHC、1800cc、1C型、65馬力【グロス値】)。モデル後期にはCMに伊武雅刀を起用。ディーゼルエンジン搭載車にはカローラ初4速ATも採用。

1982年5月には、ハードトップに次いでセダンにも「ライム」を追加。

モデル末期には特別仕様車として、カローラ初のツートンボディカラーを採用したセダン1500SEサルーンとお買い得仕様のセダンGLエクストラ、更にセダン1300STDをベースに若干装備を充実させ車両価格79.9万円を実現した1300エクストラ、生産累計1000万台達成記念車が次々と発売された。

4ドアセダン・3ドアリフトバック・2ドアハードトップモデルに2T-GEU搭載のGTが追加[25]。特にセダン1600GTはラリーフィールドで活躍した。ちなみにFR時代のカローラセダンとしては最初にして最後の2T-Gエンジン搭載車だった。

バン/ワゴンは、セダンが前輪駆動化された後もルーフをセミハイルーフ化およびマイナーチェンジを8月に実施し、1987年まで継続生産された。

トヨタカローラの5代目

1983年5月、5代目にモデルチェンジ。2/3ドアのクーペカローラレビンを除き、前輪駆動化される。スタイリングはジウジアーロで、特に新規設定の5ドアリフトバック[26]は欧州色が強い。

後輪駆動で残されたカローラレビン(AE85型/AE86型)は、姉妹車であるスプリンタートレノと共に通称「ハチロク」と呼ばれ、ドリフト族等に人気を博した。現在でも漫画「頭文字D」などの影響で人気が高い。ステアリング形式は全車、ラック&ピニオンを採用。このE80系カローラ以降からはホイールハブのP.C.Dはカローラレビン以外はすべて100.0mmとなる[27]。しかし、レビンとは対照的に日本国内では特に基本形となる4ドアセダンのスタイリングが当時のカローラにしてはあまりにも斬新かつ若々しすぎるために、一部の年輩ユーザーは戸惑いを隠せなかったようである。

1600cc4A-ELU型エンジン車には電子制御4速オートマチック(ECT-S)搭載車とオプションとしてカローラ初のデジタルメーター・オートドライブが設定された。

1984年1月、一部変更/1500ccの「SEサルーン」と「SE」は4速オートマチック化されフルカラードバンパーを装備/ドアミラーは電動リモコンの可倒式に変更

1984年10月、カローラFX(ハッチバックモデル)登場。国内グループAレースで活躍。シビックと死闘を繰り広げる。このFXの登場に伴い、4ドアセダンにも新たに4A-GE型エンジンを搭載した1600GTが設定された

CMキャラクターは郷ひろみ(前期型、後期型共に)。最初はCMソングとして自身の「素敵にシンデレラ・コンプレックス」[28]が使われていた。その後「素敵に…NEWカローラ」のキャッチコピーの下、映画「アラビアのロレンス」のテーマ曲に合わせ、郷がアラビア衣装を身に纏い砂漠で佇むシーンがあった。また別バージョンで、雨の中で郷が同車を運転中、子犬が舞い込んでくるといったほのぼのとしたCMもあった。

1985年5月のマイナーチェンジでは、1300ccのガソリンエンジンがこれまでの2A-LU型からEP71系スターレットと共通の2E-LU型SOHC12バルブガソリンエンジンに換装され、動力性能が若干向上した。後期型のキャッチコピーは「それ以上のNEWカローラ」。また後期型の「SE系」は、カローラで初めて後席センターアームレストを装備したりと、次期モデルのE90系へと繋がる豪華さを持つようになった。

1986年9月には純白のスーパーホワイトのフルカラーボデーに電動格納式ドアミラー(カローラ初)・パワーウインドーを装備した20周年記念特別仕様車「SEサルーンリミテッド」を追加。

トヨタカローラの6代目

1987年5月、モデルチェンジ。日本市場では販売が振るわなかった5ドアリフトバックは、カローラでは廃止されたが、「シエロ」のサブネームを与えられ、スプリンターに残された。

同年8月にワゴンをモデルチェンジ。同年10月にセダンにフルタイム4WDが追加される。なお、この代から北米仕様のカローラセダンは、4ドアセダンのみの販売になる。また1988年2月、二代目となったスプリンターカリブも90系カローラのプラットフォームに変更され、モデルに加わる。

典型的なキープコンセプト(特にセダン・FX)でのモデルチェンジだったが、特に最上級グレードであり、販売の中心となった「SEリミテッド」(後期型では「SEリミテッドG」)の内外装は、当時のマークIIクラスに肉迫する高級感と高い品質感が特徴で、装備面でも電動格納式リモコンドアミラー、ワンタッチパワーウィンドウや高級モケットシート、エレクトロニック・ディスプレイメーター、TEMSといった、それまでひとクラス上にしかなかった装備が数多く採用された[29]ことでクラスレス化を謳い、のちのバブル景気へと繋がる好景気との相乗効果もあり大ヒットとなった。

キャッチコピーは前期型は「ニッポンの自動車の新しい物語が始まります。」、後期型は「この国のセダン」。

エンジンは1500cc以上はすべてDOHC16バルブとされ、1300ccSOHC12バルブのキャブレター(2E型)、1500ccハイメカツインカムのキャブレター(5A-F型)とEFI(5A-FE型)、1600ccのハイメカツインカム(4A-F型)とスポーツツインカム(4A-GE型)を搭載。この他、1800ccディーゼルエンジン(1C-II型)が用意された。なお、1600ccハイメカツインカムは4WD専用とされた。1988年5月の一部改良ではセダンの1500SEリミテッドに5A-FE型が追加される。

モデル後期の1989年5月には、1500cc及び1600ccエンジンがすべてEFI(電子制御燃料噴射)化され、1500ccに追加された「SEリミテッドG」のみカムシャフトのプロフィールを変更し既存の5A-FEに対し出力を11馬力向上させた5A-FHE型ハイメカツインカム[30]が設定されるとともに、2C-III型2000ccディーゼルエンジンを搭載する4WDモデルが追加された[31]。1800ccディーゼル1C-IIを1C-IIIに換装、1300cc2Eは電子制御キャブレターとなった。また、パワーウインドウのスイッチも前席のみドアアームレストに内蔵された。

また、このモデルからフルタイム4輪駆動モデルが設定されているが、搭載されるエンジンやトランスミッションごとにシステムが異なり、ガソリンエンジンのMT車にはメカニカル・デフロック付フルタイム4WD、ガソリンエンジンのAT車には電子制御油圧式ハイマチック4WD、後期に追加されたディーゼルエンジン車(MTのみ設定)にはビスカスカップリング・センターディファレンシャル式のフルタイム4WDが搭載された。リアも駆動輪となった4WD車には、AE85型/AE86型カローラレビン・スプリンタートレノ用の燃料タンクや4リンク・リジッド・コイル式のリアサスペンションなど、FR用のコンポーネントが流用されていた[32]。

トヨタカローラの7代目

1991年6月、7代目にモデルチェンジ(ワゴンは同年9月にモデルチェンジ)。このモデルは歴代で最も豪華な内容となった。キャッチフレーズは「大きな 愛のような カローラ」。発売当初のCMソングは、さだまさしの「奇跡-大きな愛のように-」。数ヶ月後には同じくさだまさしの「ありがとう」がCMソングとして起用された。

エンジンは、先代から搭載されている5A-FE型1500cc、4A-FE型1600cc(ハイメカツインカム)と4A-GE型1600cc(スポーツツインカム)[33]、新開発の4E-FE型1300cc(前期型は100馬力、後期型は97馬力)を搭載。ディーゼル仕様は二輪駆動モデルも四輪駆動モデルも2C-III型2000ccに統一された。

1500cc5A-FEエンジン搭載車のMTが全て5速化された。

上級グレードのSEリミテッドは、デビュー当初SE-Lという名称であったが、古くから同様の名称を使用しているメルセデス・ベンツからクレームが入り、以前使用していたSEリミテッドに名称を変更した経緯がある。

100系カローラは、バブル景気で質感向上を追求する時代の後押しを受けたことや、先代の90系カローラが上級車種に匹敵する高級感を持って大ヒットしたため、その路線を昇華させた形で登場した。重要回路に金メッキ端子を採用したり、ボディ全体の80%以上が亜鉛メッキを用いた防錆鋼板を大幅採用する[34]など品質、内外装の質感は非常に高かった。装備も当時の大衆車の水準を大きく凌ぎ、前期型の最上級グレード(1600SE-G)には運転席パワーシート・電子制御パワーステアリングが装備されていたほか、販売価格の面でも小型セダンにしてはかなり割高なものだった[35]。

1992年5月には全高の低い4ドアハードトップのカローラセレスが追加された。姉妹車はスプリンターマリノ。TRDから、セリカ(ST202型)に使われたトランスミッション、ドライブシャフト、および3S-GE型2000ccエンジンを搭載した特別仕様車「TRDカローラ2000」(セダンベース)[36]が東京地区のみで販売された。ちなみに、セレスベースのTRDセレス2000も存在するが、これはTRD関係者が特別に依頼した物である。

1993年5月にはマイナーチェンジが行われた。グリル・バンパー・テールライト・ホイールキャップの形状変更や、シートクロスの柄が変更されるなどの変更を受ける。また、SE-Gのデジタルメーターのオプション設定とパワーシートがコスト削減の流れで廃止される。SEリミテッドにおいても価格が下げられ、1500XEのAT車も4速化された。しかしながら、カローラ歴代史上最高(1990年代当時)とされる高い内外装の質感はほぼ変わらなかったため、1995年のモデルチェンジ時まで高い人気を維持して生産し続けられた。CMキャラクターは、イッセー尾形と東ちづる。

E110系登場後もワゴン、バン、セレスはE100系のまま生産が続けられ、セレスは1998年3月頃まで(モデル廃止)、ツーリングワゴンは2000年8月まで[37]、バン及びビジネスワゴンは後継車の「プロボックス」にバトンタッチされる2002年8月まで生産された。この間、ワゴンは1995年のE110系セダン登場と同時に行われたマイナーチェンジ時に4WD車を、翌1996年5月には4A-GE型エンジン搭載のBZツーリングをそれぞれ追加し、さらに翌々1997年4月の大幅なマイナーチェンジ時には、BZツーリングに6速MTが搭載された。この時のCMキャラクターに篠原ともえとユースケ・サンタマリアが起用され、「カロゴン」の愛称が定着し、「カロゴンズ」名義でCMソングも発売された。なお、バン/ワゴンのディーゼルエンジンは、1998年4月にE110系セダンのディーゼルエンジンが3C-E型2200ccに変更された時に、同時に3C-E型に変更されている。

トヨタカローラの8代目

1995年5月15日、8代目の110系にモデルチェンジ。前期型のCMキャラクターはピーター・フォーク演じる「刑事コロンボ」。なお当初のCMコピーは「ずっといいですよ。新COROLLA誕生」だった。

好景気の後押しを受け車格を超えた装備と質感を追求し、販売価格も割高だった7代目の反省[38]を元に、バブル経済崩壊後の8代目は大衆車としての原点回帰を元に7代目とは逆に、「価格破壊的商品」を意識したコンセプトで徹底したコスト削減と軽量化を実施した。なお、バン/ワゴンは開発費削減のため、E100系をマイナーチェンジして継続生産された。

1500cc5A-FEエンジン搭載車のATがすべて4速化された。

基本構造は先代のE100系を継承しているが、ボディデザインも抑揚ある複雑な曲線からの簡略化が図られた。品質感の大きな落ち込みが指摘され、要因として硬質プラスチックで覆われた内装、およびセダンのXEサルーン以下のグレードにおける機械(ガバナ)式スピードメーターの採用[39]、黒い素地色がむき出しの二分割バンパー、更にフレームなどの接合に、E100系ではスポット溶接を用いていたが、E110系ではその一部にリベット接合を採用し[40]、製造コストを大きく下げた点などにあるとされ[41]、販売状況は壊滅的なものだった。そのため、1996年5月の一部改良では「SEサルーン」等の一部のグレードに限り無地だったバンパー上部にシルバーメタリックあるいはグレーメタリックの塗装が施され、同時にABS・デュアルエアバッグを装備するなどの改良が施された。しかしこれだけではE110系カローラセダンのイメージを大きく向上させることはできなかった。一部では、当時既に老境に入りつつあったピーター・フォークをCMキャラに起用したことが販売不振の原因の一つではないかと考えられていた。

1997年4月に比較的大規模なマイナーチェンジを行い[42]、通常のカラードバンパー、ソフトパッドに覆われたインストゥルメントパネルなどを用いて、再びE100系並の品質感を得る事となった。最上級グレードが「SEサルーンG」から「SEサルーンLセレクション」へと変更され、ブロンズガラスや木目調パネル、オートエアコンが標準装備された。同時に後席ヘッドレストを分割式に、ヘッドライトをマルチリフレクター式にするなどの安全装備も充実した。(4E-FE車を88ps→85psに変更。)

なお、後期型のCMキャラクターには藤本義一が起用されていた。また、後期型のCMコピーは「ベストセラーカーの責任」である。

また、廃止されていたスポーツグレードのGTが6速MTを装備して復活し、E110系カローラの象徴的なグレードとなった。このGTは先代とは異なりDジェトロ方式を採用し、各気筒独立のスロットルの口径も拡大され、1600ccながら出力は165psに達した。これに伴い、前期型の4ドアセダンで最も人気薄とされてきたグレードの「1.6 Sクルーズ」は廃止された。4ドアセダンのボディのcd値(空気抵抗係数)は前期型、後期型ともに0.31であった。

1998年4月の一部改良では、ディーゼル車がこれまでの2000ccから2200ccのEFIディーゼル(3C-E型、79ps)に変更された。1300cc4E-FE型エンジン車のマニュアルトランスミッションが4速から5速に変更になる。

しばらく続いていた4年サイクルをこの代からやめることになり、2000年8月まで5年3ヶ月間販売が続けられた。

トヨタカローラの9代目

2000年8月28日、9代目にモデルチェンジ。プラットフォームやエンジンが一新され、NZ、ZZ系エンジンが採用される。

通称NCV[43]シリーズ[44]と呼ばれる。フロントグリルのエンブレムも、それまでのカローラ(花冠)マークではなく、NCVを図案化したものに変更された。また、このNCVエンブレムはセダンのアシスタパッケージ[45]にはフロントグリルに付けられていない。代わりに、トヨタのCIエンブレムがフロントグリルに付けられている。[46]また、一時はカローラの名前を廃止する計画もあったが、最終的に日本を代表する車名という事もあり残されることになったという。

プラットフォームは、V50系ビスタ用およびT230系セリカをベースに再設計および縮小化し、E110系[47]と比較し更なる軽量化を図り走行安定性向上のため、リヤサスペンションが先代の独立懸架式[48]からトレーリングビーム[49]に変更された。全高はE110系カローラセダンに対して90mmも高くなり[50]、全長で50mm[51]、全幅で5mmとそれぞれ拡大し、ホイールベースはT230系セリカと同じく2600mm[52]にまで延長されている。尚、4輪駆動車用には前述のT230系セリカとほぼ共通したバイザッハ・アクスル方式のダブルウィッシュボーン式独立懸架が採用されている。スポーツモデル[53]はこの代で廃止された。[54]。

カローラにとっては初のVSC[55]やTRC[56]といった安全装備が採用された[57]。セダンには1ZZ-FE型1800cc[58]と1NZ-FE型1500cc[59]、セダン専用の2NZ-FE型1300cc[60]の3種類のエンジンが搭載され、フィールダーとランクスには前述3種類のエンジンに加え、2ZZ-GE型1800cc[61]が搭載される。ちなみにガソリンエンジン全車、カムシャフトはタイミングチェーンによって駆動される[62]。4ドアセダンのボディのcd値は前期型から後期型まで0.29。また、フィールダー、ランクスのcd値は前期型から後期型まで共に0.30であった。

2001年10月9日の一部改良に伴い、セダンの「1.8ラグゼール」 (LUXEL) に本革シート(カローラ初)を標準装備した「1.8ラグゼール・プレミアムエディション」が追加された。同時に車体色も1色追加されている[63]。

2002年9月19日に行われた最初のマイナーチェンジでは、エクステリアデザインおよびインテリアデザインの若干の変更[64]、セダン、フィールダー、ランクス全車のリアシートの中央部に新たにヘッドレストが装備された。

2004年4月28日に行われた2度目のマイナーチェンジでは、セダンとフィールダーは特にフロントノーズ周辺の造形が中期型までの丸みを帯びた造形から、押し出しや目鼻立ちを強調した若干角ばった造形に刷新された[65]。同時にインテリアデザインも大幅に刷新されている[66]。また、セダンの1.8ラグゼールにはE100系セダンの前期型の1600SE-G以来、パワーシートが再び採用された。

2004年4月のマイナーチェンジまでは、セダンとフィールダーに3C-E型2200ccディーゼルエンジン[67]も用意されていたが、3C-E型ディーゼルエンジン自体の旧態化[68]および日本国内の環境規制に対応できないため、日本国内仕様のラインナップからは外された。ちなみに、2000年代以降に市販された日本国内向けのトヨタのディーゼルエンジンを搭載した小型乗用車としてはE120系カローラセダン/E120G系フィールダーを最後に前述の通り開発、製造および販売が完全に途絶えている。

3代目カローラの1977年1月のマイナーチェンジ以降(E50系)から、2006年10月のフルモデルチェンジ直前までの9代目カローラ(E120系)まで、およそ30年間存在したカローラの1300ccモデルは、このE120系(セダンのみ)が最後となった。また、全グレードにSuper ECTを用いた電子制御4速ATの採用も、このE120系が最初で最後であった。

トヨタカローラの海外仕様

欧州では5ドアハッチバックの他に3ドアハッチバックも販売されており[70]、後年のWRCのベース車にもなった。足回りでは、ばねとダンパーのセッティングが高速寄りとなっている。また、当初はスパシオが欧州向け車名をカローラ・ヴァーソとして販売されていたが、現在は全幅やホイールベースを拡大した欧州専用の2代目ヴァーソにモデルチェンジされている。
北米ではセダンのみが販売され、前後のデザインが日本や欧州向けとは大きく異なり、スポーティーな印象である。足回りのセッティングは、スポーツグレードを除きコンフォート指向で、北米専用となるオールシーズンタイヤの影響もあり、ハンドリングや乗り味がかなり異なる。余談ではあるが、北米向けのE120系セダンには他国のE120系セダンには設定されていない2ZZ-GEエンジンを搭載したスポーツ系グレードが存在する[71]。ちなみに、当初のイメージキャラクターはブラッド・ピットだった。
アジア仕様車のデザインも北米仕様車のそれに準ずる[72]。また台湾、東南アジア諸国では「アルティス」のサブネームが与えられている。(参考リンク)なお、ブラッド・ピットはカローラ・アルティスのCMでもイメージキャラクターに起用されている。

トヨタカローラの10代目

2006年10月10日にモデルチェンジ。今回、セダンにはサブネームが付いた「カローラアクシオ(COROLLA AXIO)」の新名称で一新[74]。このネーミングは「品質」「価値」を意味するギリシア語の「AXIA(アクシア)」に由来する。一方、ワゴンは9代目に続き「フィールダー」の名称で展開される。なお「ランクス」の名称で展開してきたハッチバックは、後継車として3ナンバーサイズの新型欧州戦略車「オーリス」を導入することとなり、カローラランクスの名前は1代限りで消え、カローラの派生車種から再びハッチバックが消滅した。また、オーリスの上級仕様である「ブレイド」も発売された。 10代目のキャッチコピーは「新しい尺度。」、「今度のCOROLLAはよくしゃべる」。

歴代カローラのセダンとしては非常に珍しく、E140系アクシオは2007年度のグッドデザイン賞を受賞している[75]。

10代目の形式が「E120」から「E140」に飛んでいる理由は、「E130」が輸入車のヴォルツ[76]および北米専売車種のマトリックスに振られているためである。

なお、今回セダンに関しては海外向けと国内向け、2つのプラットフォームを持つことになる。それは日本国内での根強い5ナンバー需要に対応するためで、従来車の車両寸法をほぼ維持した[77]E140系セダンのアクシオとE140G系ステーションワゴンのフィールダーは事実上ドメスティックモデルとなる。

案外知られていないが、このE140系カローラアクシオは歴代のカローラセダンでは大変珍しく、E140G系カローラフィールダーの逆派生モデルとなっている[78]。

エンジンは1500ccモデルの1NZ-FE型エンジン[79]が継続されるほかは1800ccモデルには1ZZ-FE型エンジンに代わって新開発の2ZR-FE型(DUAL VVT-i対応、136馬力)ガソリンエンジンが新たに搭載された。また、E120系に比べ車重がおよそ100kgも重くなり、格下のベルタと競合するという理由で、[80]セダン専用でありE50系[81]以降から続いてきたカローラシリーズの伝統ともいえる1300ccモデルやフィールダーやランクス、アレックスに搭載されていたスポーツツインカムモデルは廃止された。ただしカローラセダンの1300ccモデルの廃止後は事実上ベルタ[82]がその空いたポジションを受け持つ事となる。

オートマチックトランスミッションは全車CVT[83]である。また、ATを好まないユーザー向けにE120系に引き続いて1500ccモデルの2WD車に限りアクシオ、フィールダー共に5速マニュアルミッションも用意される。ちなみにアクシオは法人向けの「1.5X ビジネスパッケージ」[84]を除き全車にバックモニター機能付5.8インチ液晶ディスプレイとCDオーディオと前後ドアスピーカー[85][86]が標準で装備される。なお、4WD仕様に関してはアクシオの最上級グレードの「1.8ラグゼールαエディション」を除く全てのグレードに設定される。

CMは先代から引き続き木村拓哉が出演(フィールダー)しており、新たに明石家さんま(アクシオ、フィールダー)や浅田美代子(アクシオ)、柄本明(フィールダー)、細野晴臣(フィールダー)も起用された。

About 2008年02月

2008年02月にブログ「トヨタとは」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35